要人も訪問した江戸の名所
浅草花やしきの起源は、江戸時代にさかのぼる。浅草寺境内で、造園師森田六三郎が始めた、牡丹や菊を中心とした花園(かえん)を「花屋敷」と名付けたのが江戸時代末期の嘉永6年(1853年)、浦賀にペリーが来航した年だ。歌川広重の「浅草金竜山奥山花屋敷」には、多くの人でにぎわう様子が描かれている。
幕末には鳥類や小動物の飼育を開始。江戸を訪れた外国の公使らを案内する際には、浅草寺とともに主要な見学地としてコースに組み込まれていたと伝えられている。江戸の名所の一つだったのだ。
遊具が設置されたのは、明治5年(1872年)頃のこと。明治時代の興行チラシからは、人形の陳列なども行い、あの手この手で客を楽しませようとしていたことが読み取れる。
古めかしさを感じさせる演出も
「現在の浅草花やしきも、こうした流れの延長線上にある」と語るのは、株式会社花やしき代表取締役社長の西川豊史氏だ。
「震災や戦禍を経て、遊園地として再建したのは昭和24年(1949年)です。都民の憩いの場として多くの人たちに訪れていただきました。メインアトラクションの一つであるローラーコースターは、日本に現存する最古のコースターで、昭和28年(1953年)に設置されたものです。車体やレールは定期的に交換していますが、車体や色はあえて昭和を感じさせるデザインを引き継いでいます」
ベテランスタッフが毎朝一番にローラーコースターのコースを歩いて点検するほか、定期点検も欠かさず安全対策にぬかりはない。「遊園地好きが多い」というスタッフの笑顔も魅力の一つだ。
「メリーゴーランドやパンダカー®など古くから続いている遊具は、1周回って新しいと言われることもあります」
浅草花やしきの唯一無二の魅力とは?
最新鋭の遊具を設置して注目を集めるのではなく、古さを意識したアトラクションで歴史を味方にするのが浅草花やしきなのだ。
ちゃんばら遊びが楽しめる「マルハナ剣術道場」や忍者修行ができる「子ども忍者やしき『にんにんパーク』」、浅草の今と昔をたどる「パノラマ時間旅行」など古い時代を意識したアトラクションも多く用意している。
「日本でこんなに長く続いている遊園地は他にありません。しかも敷地がコンパクトで数時間の滞在でも十分楽しめますから、東京観光の際、旅ナカ(たびなか)にふらっと立ち寄っていただくことができます。まさに唯一無二の魅力を持っていると言えます」
浅草花やしきが掲げるミッション「世代をこえて笑顔をつむぐ」とビジョン「"なつかしい"を新しく」も興味深い。
「東京は江戸時代から急速に発展した都市です。最先端の街でありながら、伝統的な文化を引き継いでいます。私たちはこの東京で、1人でも多くの生涯顧客を獲得したいと考えています。浅草花やしきで子どもの頃に遊園地デビューを果たし、生涯、折に触れて遊びに来てくれるようなお客様です。東京という大都市で長く続く遊園地だからこそ、それが可能だと思っています」
唯一無二の魅力を持つ浅草花やしきは、これからも東京で歴史を紡いでいく。
西川豊史
浅草花やしき
https://www.hanayashiki.net/写真/井上勝也