進化を続ける都市、東京を発信

日本への熱い思いを受け継ぐ
1985年、虎の門病院でイギリス人の父と日本人の母の間に生まれたハリー杉山氏と東京とのつながりは深い。ジャーナリストだった父親のヘンリー・スコット・ストークス氏は、1964年に来日した時から、生涯にわたって日本に魅了され続けた。
「父は、普通の日本人よりも日本人らしかったです。日本を愛し、日本の美しさを世界に紹介することに生涯を捧げました」とハリー氏は懐かしそうに振り返る。
ハリー氏は11歳で英国に渡った後、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で中国語と韓国語を学ぶなど、インターナショナルな教育を受けたが、その後、再び日本に引き寄せられていった。大人になって東京に戻ってくると、それまで気づかなかったこの街の姿が見えてきた。「その時になって初めて東京の本当の美しさに気づいたのです」と彼は打ち明ける。
現在、彼は東京観光大使として、父親の志を受け継ぎ、東京の多様な魅力を世界に発信している。東京のPRを担う他の大使とともに、各種広報活動を通じて東京のさまざまな魅力を国内外にアピールする役目だ。
歴史と現代のコントラストと尽きることのない感動に出会える街、東京を再発見
ハリー氏にとって東京の面白さとは、絶えず進化を続け、過去と未来が混在しているところにあり、そこに尽きることのない魅力を感じるという。
「古来の芸術や歴史と、デジタル化した未来が見事に合わさっています」と彼は話す。この街に20年近く住んでいても、今なお新たな側面や知られざる物語、隠れた魅力を発見することがあるそうだ。「自分は東京のエキスパートだと言いたいところですが、そうはいきません。まだまだ発見していないことがたくさんあるからです。東京は常に進化しています」
多趣味なハリー氏だが、なかでも、こうした発見ができるランニングはお気に入りだ。彼のスポーツへの情熱は、父親と過ごした幼少期の思い出にさかのぼる。父親は、急いでいるといつも、東京の街を小走りで進んでいったので、ハリー少年は、遅れがちになりながらも一生懸命追いつこうとした。日本に戻り、ランニングを通じてこの街のことがもっと分かるようになると、あの頃の熱い気持ちがさらに強まった。
たとえば、皇居ランニングコースを走ると、東京ならではの対照的な風景が目に入る。「一方には超高層ビルがそびえ立ち、もう一方には江戸時代や徳川幕府が偲ばれる石垣や刻印(石に刻まれた印。石垣造りに携わった大名や職人を示すもので、他の大名にその石を使わせないようにするためのもの)、当時の職人による仕事が残っています。それはまるで、見事な歴史展のようです」
ハリー氏は、これが世界の人々を魅了する東京の最も大きな特長だと考えている。「東京とは一体何なのだろうと考えさせられます。未来と過去が交錯する街。その対比が私は好きです」
有名なスポット以外にも思いがけない発見がある東京に、ハリー氏は心ときめかせている。本来は年に一度しか食べられないお雑煮(伝統的な正月料理である餅入りの汁物)が一年中食べられる銀座の小さなお雑煮専門店から、濃厚でスパイスの効いた下町のカレー店まで、東京は驚きに満ちている。そのような場所の一つが光が丘公園である。第二次世界大戦後、グラントハイツと呼ばれる、駐留米国人向けの住宅地となったが、後に家族連れや地域の高齢者が集い、楽しむ公園へと姿を変えた。
東京観光大使としての役割
ハリー氏は、東京観光大使としてイベントやソーシャルメディア、テレビ番組、フォーラムなどを通じて東京の豊かな魅力を紹介することに誇りを持っている。東京の人気スポットや知られざる名所を巡るテレビ番組「東京GOOD!」のような仕事が、一般的な観光地以外の場所にも人々が訪れるきっかけになってくれたらと期待している。
「父は、生涯をかけて、日本を西洋に紹介し続けました。ぜひ私も同じことをしたいと思っています。それが本当に好きだからです。この仕事は私のライフワークであり、生きがいでもあります」と熱がこもる。
ハリー氏はまた、東京のユニークで進化し続けるアイデンティティを、何としてもアピールしたいと考えている。彼は近年、日本文化が世界的に認知されるにつれ、日本に対する世界の見方が変わっていくのを目の当たりにしてきた。「私がイギリスの寄宿学校に通っていた頃には、日本といえば相撲と寿司、あとは中田英寿選手(元サッカー日本代表)くらいしか知られていませんでした。でも今は、アニメやサブカルチャーにとどまりません。日本や東京が他国と混同されることなく、独自のアイデンティティとして認識されています」
東京のアイデンティティは多面的である。歴史に根ざしながらも、進化し続けている。「最近では、日常的に多様な人々の姿を見かけるようになり、嬉しいです。日本社会はとても国際的で多文化的になってきたと思いますね」とハリー氏は言う。こうした多様化により、東京の街は、その文化遺産に変わらぬ敬意を払いながらも、新たな側面を持つようになっている。
それでも、ハリー氏にとって、歴史や食べ物、観光名所以上に東京を特徴づけるのは、やはりそこに暮らす人々である。「街角の普通の人たちこそが、東京の本当の姿です。彼らはこの街を隅から隅まで知り尽くしています」とハリー氏は話す。しかし、何より印象的なのは人々の温かさだという。「日本人は皆、日本人ならではのやり方で人を温かく迎え入れます。熱烈に歓迎するわけではないのですが、温かさがあるのです。日本語ではぬくもりと言います。肌で感じる温かさのことです」
東京は急速に近代化したものの、この温かさは決して失われていないと彼は考えている。「人々の温かさは、父が初めて来日した1964年当時から変わっていません。今も変わらず、これからも変わることはないでしょう」。控えめだが、紛れもない優しさ、これが彼にとっての東京の真髄である。
世界に向けたハリー氏のメッセージ:東京が皆さんをお待ちしています
ハリー氏は、東京を代表してその独特の美しさを紹介し、海外の他の都市とのつながりを強めることに全力で取り組んでいる。彼が東京を愛するのには、彼ならではの理由がある。東京は彼の故郷であり、父のレガシーを受け継ぐ場所であり、毎日新しい発見がある場所だからだ。
ハリー氏にとって、東京は単なる観光地ではない。人々が心から帰属意識を感じられる街でもある。「私たちは、心を開いて皆さんをお迎えします」と彼は言う。
ハリー杉山
1985年、東京都に生まれる。11歳でイギリスに移住し、ウィンチェスター・カレッジを卒業後、M&Aのキャリアをスタート。その後、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)と北京師範大学で学び、日本に帰国してからはタレントとしての活動を始める。父はニューヨーク・タイムズの元東京支局長/アジア支局長。日本語、英語、中国語、フランス語を話すマルチリンガル。
取材・文/シャーニー・フェン
写真/穐吉洋子
翻訳/喜多知子