金メダリスト松本薫が語る東京の魅力と柔道の未来
--石川県金沢市のご出身ですが、東京にどんな印象をもっていますか?
小学生の頃から大会や合宿などで上京したことはありましたが、東京で暮らし始めたのは、高校に進学してからです。当時の印象は、楽しいこと、欲しいもの、行きたいところがすべて揃っている「魅力的な街」。結局、高校を途中で退学していったん地元に戻ったのですが、後から考えると、自分のなかで目標が定まっていなかったことが、要因でした。
大学進学にあたって自分を見つめ直し、柔道に打ち込むと心に決めました。その上で、理想的な環境はどこかを考え、東京の大学に進学。すると東京の印象も変わりました。自分の意識を変えたことで、強くなろう、何かを成し遂げようと夢をもった仲間が増え、多くの影響を受けました。大学卒業後も含め、選手時代の東京の印象は「大志を抱いた、強い人が集まる街」です。
現役を引退してからは東京で働き、子育てをしていますが、あらためて「皆さん、すごいな」と思うようになりました。多くの人たちが、都市ならではの密度の中で、自分なりの生活を送っていることに感動を覚えます。選手時代には同志と思える人の話しか聞いてこなかったので、柔道以外の世界に目が向いていなかったのかもしれません。今の生活は、すべてが学びに溢れていて、東京の印象も「すごい街」に変わりました。
--東京で思い出深い場所を教えてください。
まず、高尾山(東京都八王子市)。学生時代にテレビのニュースで美しい紅葉を見て、ひとりで訪れました。登ってみたら、想像よりは簡単に頂上までたどり着くことができて嬉しくなりました。今は、後輩と一緒に登ることが多いです。登山の途中でお団子を食べて、おみくじを引き、最後に頂上で、それぞれの目標を叫んでいます。都心から約1時間で行くことができるトレッキングスポット。海外からの観光客の方にも、今後はさらに人気が出るのではないでしょうか。
選手時代に通った講道館(東京都文京区春日)も思い入れのある場所です。嘉納治五郎が興した柔道の総本山で、日本柔道協会の本部、道場に加えて、合宿所も併設されています。中学生の時にシニア合宿に参加する機会に恵まれ、オリンピックで2度も金メダルを獲得した谷 亮子選手と練習させていただいたのは良い思い出です。2階には資料館、1階には売店もあります。売店には柔道のイラストや写真などが入ったカレンダーやTシャツ、小物なども販売しています。海外の柔道関係者や、熱心な柔道ファンには嬉しいスポットです。
そして、自分へのご褒美の意味も兼ねて、選手時代によく訪れたホットケーキパーラー フルフル(東京都港区赤坂)もお気に入りのスポット。この店のフルーツサンドは、果物が本当に新鮮で、今でも大好きです。フワフワした食パンに、甘すぎない生クリームのハーモニーが絶妙です。重要な大会の後などに、女子選手と連れ立ってよく足を運びました。
--オリンピック東京2020大会の柔道競技では、日本の選手が大活躍、海外からも大きな注目を集めました。今後はどのような発展を望みますか?
すでにパリ2024大会への戦いが始まっていますが、日本の選手たちにとっては、地の利があった東京2020大会よりも厳しいものになるでしょう。日本の各選手たちは、各国から細かく分析もされていると思いますが、頑張って欲しいですね。
東京2020大会を多くの人に観戦していただいたお陰で、日本でも柔道という競技の関心が高まり、認知度も上がったように思います。階級制を取り入れた競技なので、体の大きな人ばかりが戦うわけではないということ。そして何より、紳士的なスポーツであることを知ってもらう機会になったと思います。さらに、阿部一二三(ひふみ)選手と詩(うた)選手兄妹などの活躍もあって、柔道に対する世間一般のイメージも変わりつつあります。柔道といえばストイックなイメージをもつ方が多かったかもしれませんが、今は「強くて、かっこいい」、「強くて、かわいい」とった、キラキラした印象をもつ人も増えてきている。世界中の人々から注目を集める日本のアニメのように、国技である柔道も世界にもっと広まるといいなと思います。
松本薫(まつもと・かおり)
1987年生まれ。石川県金沢市出身。6歳で柔道を始め、東京の高校に進学したが、2年生時に郷里の高校に転校。卒業後は東京の帝京大学に入学。2012年にオリンピック、世界選手権、ワールドマスターズおよび全グランドスラム大会を完全制覇した最初の選手に。2016年結婚、2017年に第一子出産。2019年2月に引退し、同年第二子を出産。現在はギルトフリーのアイスクリーム「ダシーズ」で開発や製作を担当。
写真/田中駿伍(MAETTICO)