銀杏並木と名建築の風景をぶらぶら「やねほん」散歩

東京都公式note
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「やねほん」って?「やねせん(谷中・根津・千駄木)」なら知っているけど、どんなところだろう? 2025年11月、東京文化財ウィークに合わせて開催された「文化財めぐり」のコースの一つ、東京シティガイドクラブが主催するツアーに参加しました。弥生・根津・本郷のエリアを「やねほん」と名付け、主に東京大学のキャンパス内をめぐり、根津神社まで歩くコースです。ちょうど銀杏が色づいて、お散歩には最適な季節。

どこを撮ってもフォトジェニックなキャンパス内

都の歴史的建造物である農正門から入って、弥生キャンパスとそのお隣の本郷キャンパスの見どころを歩きます。

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木曽ヒノキでできた門扉。金具は創建当時(1937年)のもの

中に入ると別世界! 広々とした並木道とクラシックな建物が織りなす風景は、都心とは思えません。キャンパス内は一般開放されていて、どうみても学生には見えない人も歩いています(私もその中の一人ですが)。食堂やカフェ、売店なども利用できるところが多く、地域住民の憩いの場にもなっているのが少し意外でした。

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伐採せずに自然のままの銀杏はこんなに巨大に!
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尖塔アーチが連なるアーケード(法文一号館)
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総合図書館は本の背表紙が並んでいるデザイン
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医学部二号館は別名「キャンパスの貴婦人」

銀杏が黄金色に輝く季節は特に人気だそうで、スマートフォンや一眼レフカメラを構える人の姿が目立ちました。巨大な銀杏の木を中心に広場があったり、回廊のようなスポットがあったりと、なんともフォトジェニック。

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ハチ、ご主人に会えたね!(涙)

弥生キャンパスには、かの有名な忠犬ハチ公と飼い主の銅像があります。なぜ東大にハチ公? 実はハチ公のご主人は東大農学部の教授だった上野英三郎博士。当時は駒場にあった農学部キャンパスへの通勤や出張時に、ハチ公は渋谷駅まで送り迎えしていたそうです。そして博士が大学内で急逝したあと10年間も渋谷駅へ・・・。ハチ公の没後80年(ハチにちなんで)を機に、2015年に建立されました。

東大建築に欠かせないキーワード「内田ゴシック」

東京大学がこの地に設置されたのは明治時代。当時はさまざまな設計者が関わりましたが、校舎は全体的にイギリス風のレンガ造りだったそう。ところが大正12(1923)年の関東大震災でほとんどの建物が焼失してしまい、その後内田祥三(よしかず)が復興を担い、多くの設計を手掛けました。

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建物の上に突き出ているのは付け柱、天に向かって伸びる意味が込められているそう

その建築様式は「内田ゴシック」と呼ばれ、いくつかの特徴があります。全体的に縦を強調した直線、縦にひっかいたような模様のスクラッチタイル、たがいちがいではなく直線にタイルを貼る芋目地、先のとがった形をした尖塔アーチ、「犬小屋」と呼ばれるポーチ(入口)など。

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スクラッチはタイルの焼きムラが気にならない、という効果もあったとか?
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絶妙な曲線がかわいい尖塔アーチ
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建物の前にせり出した「犬小屋」

内田ゴシックの建築群ができてから約100年、かなり老朽化も激しくなっていて、あちこちで改修や増築が行われています。それでも全体的に統一感が取れているのは、内田ゴシックに敬意を表してその特徴を引き継いでいるおかげなのです。

残しながら、変化しながら、未来へとつなげていく

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実は正面の入り口は3階で、芝生の下には食堂があります

そして、東大といえばこの建物をイメージする人が多いのではないでしょうか? 正門からまっすぐ続く銀杏並木の突き当りにある安田講堂は、2025年に竣工100年を迎えました。正面から見ると四角く、反対側から見ると講堂という名の通り、半円形になっています。
何度かの修復を経ていますが、エントランスには東大紛争の際の焼け跡がいまだに生々しく残っていて、歴史を忘れないようにとそのままにしているそう。東大のシンボルでもある建物に、あえて目に見える形で残したその姿勢にしびれます。

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手前が元の建物。奥の高い建物は中庭に増築(工学部一号館)

中には、当初建てられた内田ゴシックの建物の中庭部分に新しく増築してしまう、しかも元の建物よりも高く・・・、という校舎がいくつかあります。最初の設計者が見たら泣いてしまうかも、と思いましたが、全面建てなおすことを反対して、元の建物を残しつつ増築するという方法を取ったそうです。これも大切な歴史のひとつなのだな、と感じました。

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写真左側に見えるのは100メートル続く壁

一方、世界的に有名な現代の建築家が手掛けた、現代的なデザインの建築も見られます。
代表的なのが、安藤忠雄設計で建設された情報学環・福武ホール。均一で直線的な造形は、三十三間堂をヒントにしたそうです。ほかにも隈研吾が設計・デザインを手がけた建物もあり、まさに名建築の宝庫です。

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建物内は、照明として自然光を取り入れているそう

また、こちらの弥生講堂アネックスは、2008年に作られた木造建築。シェル構造と呼ばれる、パネルを組み合わせた柱のない造りで、設計には大学院の木質材料学研究室が参加しています。新たな木造建築の可能性を自ら示した、東大ならではの建物になっています。

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東大の正門は赤門ではなくこちら。朝日と雲がモチーフ

ここまで来て、あれ、東大といえば赤門はどうした?という声が聞こえてきそうですが、現在耐震補強のため、残念ながら見ることができません。2027年の赤門200周年、そして東大150周年の再開門に向けて、寄付を募りつつ整備を進めています。

建物は建てるのももちろん大変ですが、維持することも大変な技術と労力、そしてお金がかかることです。ましてやここは日本の最高峰の頭脳が集い学ぶ、現役バリバリの校舎。そんなキャンパスを閉ざさず、公開しながら守っているところも素敵だなと思いました。学生さんたちのお邪魔にならないように、見学しましょう。

根津神社に新たに加わった名建築とは?

さて、名残惜しいですが、東大の弥生門を出て、根津神社まで10分ほど歩いていきます。途中にも「弥生式土器ゆかりの地碑」(弥生式土器の名前はこの地名から)「おばけ階段」(上るときと下りるときの段数が違う?)など注目のスポットを通ります。

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楼門にいる随身の右側は水戸黄門がモデルだとか

春はツツジの名所として有名な根津神社ですが、立派な銀杏もあり、赤と黄色のコントラストが素敵でした。こちらは五代将軍綱吉の時代から、創建当時の建物が多く残されていて、7棟の重要文化財はすべて本物の漆塗りが施されています。

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神社には海外からの観光客の姿が目立ちました

根津神社の始まりは今から約1900年前、日本武尊(やまとたけるのみこと)が千駄木の地に創祀したと伝えられています。この根津の地に遷宮したのは江戸時代の宝永3(1706)年のこと。いろいろな名建築を見ていくと、約320年の間、大きな震災や戦禍にも負けずに現存していることがいかにすごいことか、改めて思いしらされます。

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森鴎外は根津神社の氏子で、深いゆかりがありました(2025年12月時点で邸宅内の一般公開はしていません)

そんな歴史ある根津神社ですが、森鴎外の住んでいた家が境内に移築され、2025年に完成したのが熱いニュースです。『舞姫』を執筆したのがこの家で、明治期の邸宅建築としての価値もとても高いものです。こちらは台東区の「水月ホテル」で保存されていましたが、ホテルの閉館に伴い、2022年からクラウドファンディングで移築が実現したといいます。これも未来に残したい大切な建物の一つなのだと感じました。


・・・と、いろいろご紹介しましたが、ほとんどは東京シティガイドクラブのガイドさんが解説してくださった内容です。素晴らしいトークとフリップで、とても分かりやすく楽しくガイドしてくださいました。ただ見るだけ、通るだけでは得られない知識が満載で、とても勉強になりました。
解説を聞きながら東大のキャンパス内をぶらぶらめぐって、根津神社でゴール。たっぷり歩いてとても充実した2時間でした。ほかのコースも魅力的なものがたくさんあるので、来年の秋もぜひ参加してみたいと思います。

NPO法人 東京シティガイドクラブ 
東京文化財ウィーク 2025
東京大学 本郷・弥生キャンパス 屋外休憩マップ(pdf)
根津神社

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