【東京都立大学】究極の物理法則を求めて挑むダークマター探索実験

東京都立大学
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私の研究最前線 シリーズVol.11

新たな研究成果や研究の魅力、醍醐味などを語ってもらうシリーズ企画「私の研究最前線」。第11回目は、高分散赤外線分光技術を用いてダークマター探索実験で世界最高感度を更新し、宇宙の根本原理の解明に挑む、理学部物理学科の殷文准教授にお話を伺いました。

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殷文(イン・ブン)准教授

理学部 物理学科 殷文(イン・ブン)准教授

東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、博士(理学)。専門は素粒子理論、初期宇宙論、ダークマター探索。素粒子物理学の根本的な法則を探求し、特に理論計算と天体観測を組み合わせたダークマター探索実験で世界最高感度を達成。東北大学理学部物理学科卒業後、東京大学大学院理学系研究科を経て東北大学で博士号取得。中国科学院高エネルギー物理研究所、韓国科学技術院(KAIST)でポストドクトラルフェロー、東京大学特任研究員、東北大学助教を経て、2024年4月より東京都立大学理学部物理学科准教授として素粒子理論研究室を率いる。高分散赤外線分光技術を用いたダークマター探索実験と、宇宙の根本原理解明に取り組む。

Q.素粒子物理学を専門とされていますが、現在どのような研究を行っていますか?

 私の研究テーマは、宇宙の根本的な物理法則を理解することです。具体的には素粒子物理学と初期宇宙論という二つの分野にまたがる研究を行っています。素粒子というのは、物質を構成する最も小さな単位のことで、クォークや電子といった粒子がそれに当たります。私たちの身の回りにある全ての物質は、最終的にはこうした素粒子の組み合わせでできているのです。
 一方、初期宇宙論というのは、宇宙がどのように始まったのか、ビッグバン以前あるいは直後の宇宙がどんな状態だったのかを研究する分野です。この二つの分野は一見すると別々に見えますが、実は深く結びついています。というのも初期の宇宙はミクロで且つ非常に高温・高密度で、まさに素粒子が主役の世界だったからです。当時の宇宙を理解するには、素粒子の振る舞いを知る必要があるのです。
 最近の大きな成果として「ダークマター」、日本語で言うと暗黒物質の探索実験があります。ダークマターは宇宙全体の約27パーセントを占めると考えられている謎の物質です。私たちの目に見える普通の物質、つまり星や惑星、私たち自身を構成する物質は、実は宇宙全体のわずか5パーセント程度しかありません。残りの大部分がダークマターとダークエネルギーなのです。
 ダークマターは光をほとんど出さないので直接見ることはできませんが、重力を通じて存在が確認されています。例えば、銀河の回転速度を調べると、目に見える物質だけでは説明できない重力が働いていることがわかります。この見えない重力の源がダークマターだと考えられているのです。
 今回の研究では、東京大学と京都産業大学が共同で開発したWINEREDという赤外線分光装置を使って、近赤外線という波長の光を分光することでダークマターを探索しました。ダークマターがごく稀に崩壊するときに特定の波長の光を出す可能性があり、それを捉えようという試みです。わずか4時間の観測で、ダークマターの寿命の下限値について世界最高感度を達成することができました。

マゼラン望遠鏡に搭載されているWINEREDの写真© 神山宇宙科学研究所

マゼラン望遠鏡に搭載されているWINEREDの写真© 神山宇宙科学研究所

Q.物理学の道に進もうと思ったきっかけを教えてください

 小学生時代は日本の山梨県で過ごし、その後中国に戻って中学・高校時代を過ごしました。田んぼが広がるのどかな環境で、自然に囲まれた生活を送っていました。
 日本語と中国語を行き来する生活の中で、言葉の壁に悩むこともありましたが、その経験が逆に物事を深く考える習慣につながったのかもしれません。中学で中国に戻った際、日本語に慣れていたため中国語の読み書きに苦労したこともありました。
 大学は東北大学に進学しました。東北大学を選んだのは、物理学科の学びが非常に充実していたからです。
 理数系は小さい頃から得意で、高校時代にはスティーヴン・ホーキング博士の著書 「A Brief History of Time 」に触れ、物理法則の根本的なところに強い興味を持つようになりました。本格的に学び始めたのは、大学に入ってからです。特に宇宙論や素粒子物理学の授業を受けて、宇宙の根本原理を数式で記述できるということに強く惹かれました。例えば、ビッグバンから現在に至るまでの宇宙の進化が、いくつかの基本的な物理法則から導き出せるという事実に感動したのを覚えています。
 大学院は東京大学理学系研究科に進学しましたが、その後東北大学大学院理学研究科に移り、本格的に素粒子理論と宇宙論の研究を始めました。

Q.今回のダークマター探索実験について、詳しく教えてください

 今回の実験では、WINEREDという近赤外線分光装置を使用しました。これは高性能な観測装置で、近赤外線という波長の光を非常に細かく分析することができます。
 ダークマターは通常、ほぼ光を出さないため直接観測できません。しかし、もしダークマターが何らかの理由で崩壊したり、他の粒子に変換されたりする場合、その過程で特定の波長の光が放出される可能性があります。このような反応が期待されることは、私を含む様々な研究者による指摘がありますが、私たちはその微弱な光の信号を近赤外線分光器であれば捉えることができると提案しました。
 観測は、南米チリにあるラスカンパナス天文台で行いました。この天文台には、米国カーネギー天文台などが運用するマゼラン望遠鏡(口径6.5m)が設置されています。わずか4時間という短時間の観測でしたが、高分散分光という技術を使うことで、従来の観測よりもはるかに高い感度を実現しました。高分散分光とは、光を非常に細かい波長ごとに分けて観測する技術で、これにより特定の波長の微弱な信号を背景のノイズから区別できるのです。
 結果として、背景ノイズのレベルからダークマターの寿命について、従来の測定値を大きく更新する下限値を得ることができました。これは、もしダークマターが特定波長の光に崩壊するとしても、その寿命は私たちが設定した下限値より長いということを意味します。つまり、ダークマターは私たちが想像する以上に安定した粒子である可能性が高いということです。
 この成果は、理論計算と観測技術を組み合わせたからこそ生まれました。そして、その実現には分野を超えた協力が欠かせません。私は主に理論計算を担当し、どのような信号が期待されるかを予測しました。一方、共同研究者の方々は観測装置の開発やデータ解析を担当しました。このような学際的な協力があったからこそ、短期間で大きな成果を上げることができたのです。

Q.この研究を進める上で、課題となることは何でしょうか?

 最大の課題は、ダークマターの正体がまだ完全にはわかっていないということです。今回の実験で寿命の下限値を更新できましたが、ダークマターが本当にどのような粒子なのか、どのような性質を持っているのかは、まだ謎のままです。候補となる理論モデルはいくつもありますが、決定的な証拠はまだ得られていません。ただし、今回使用したWINEREDは非常に高性能な分光装置です。今後もこの手法を続けていくことで、さらなる成果が期待できると考えています。
 私は理論研究者として、様々なアプローチでダークマターの正体に迫ることができます。理論予測を基に、どの質量領域を重点的に調べるべきかを計算し、それを観測チームと共有することで、効率的な探索が可能になります。こうした協力関係をさらに発展させながら、宇宙の根本的な謎の解明に挑戦していきたいと考えています。

Q.素粒子物理学という分野の面白さや醍醐味は、どのようなところにあるのでしょうか?

 私がこの分野に惹かれた最大の理由は、この世界の根本的な物理法則を探求できるという点です。素粒子理論の最大の魅力は、極めてシンプルな数式で森羅万象を記述できることにあります。
 現在の素粒子理論の標準理論は、驚くほど成功しています。この理論は、Tシャツに書けるくらいの短いプログラムのようなものです。たとえば、そこにスピンと結合と呼ばれるわずか2個のパラメータを入力するだけで、電磁気に関するあらゆる現象を説明できます。
 さらに驚くべきは、この理論の適用範囲の広さです。ニュートンがリンゴの落下と月の運動を同じ法則で説明したように、素粒子理論は宇宙の始まり、遠く離れた銀河、実験室での現象、そして私たちの目の前にあるスマートフォンの中まで、全て同じ法則で記述できるのです。この普遍性こそが、究極の物理法則の証です。
 一方で、現在の理論で確実に説明できない現象は、宇宙初期のインフレーション、ダークマターの正体、物質と反物質の非対称性、ニュートリノの質量、そして重力の量子化という、わずか五つに限られています。わからないことが明確で限られているというのは、研究者にとって大きな励みになります。たとえば、ダークマターに関わるパラメータつまりその正体が明らかになれば、過去、未来の宇宙、遠くの銀河をますます理解できるだけではなく、宇宙を支配しているプログラムがどう言ったものなのかより一層理解されるのです。
 研究の醍醐味は、少しずつ真理に近づいていく過程にあります。例えば、ジャングルの奥に宝が隠されていて、いくつもの道があるとします。どの道が正解かはわかりませんが、一つずつ道を調べて消去していくことで、最終的には必ず宝にたどり着けます。見た目は地味に思えるかもしれませんが、こうした地道な作業の積み重ねが、最終的な発見につながります。
 素粒子理論が根本的な物理法則を扱っているからこそ、緻密な理論構築に限らず、加速器実験、天体観測、宇宙論など、あらゆる方法を使うことができます。この自由度の高さと、異なる分野の研究者と協力しながら新しい発見を目指せることが、この分野の大きな魅力です。簡単な数式が宇宙の真理に直結しているというのは、本当にロマンのある話だと思います。

究極の理論は意外とシンプル

究極の理論は意外とシンプル

Q.最後に本学の学生や受験生へ向けて、先生からのメッセージをお願いします。

 物理学、特に素粒子物理学や宇宙論は、日常生活とは縁遠い分野に思えるかもしれません。しかし、私たちが研究しているのは、この宇宙がどのようにできていて、どのような法則に従って動いているのかという、最も根源的な問いです。
 高校生の皆さんには、ぜひ広い視野を持って勉強してほしいと思います。物理学だけでなく、数学はもちろん、化学や生物学、さらには哲学や歴史なども、実は物理学の研究に役立つことがあります。異なる分野の知識や考え方を組み合わせることで、新しい発見が生まれることも多いのです。
 私自身、日本と中国という二つの国で育ち、異なる文化や言語に触れた経験が、研究においても柔軟な発想につながっていると感じています。一見すると関係なさそうなことでも、後になって思わぬところで役に立つことがあるのです。
 学生の皆さんには、失敗を恐れずにチャレンジしてほしいと思います。今回のダークマター探索実験も、様々な試行錯誤の上に成り立っています。初めて赤外線分光器をダークマター観測に使うという試みで、観測条件の最適化など、共同研究者と協力しながら多くの工夫を重ねました。研究では、既存の知識を使って未知のものを理解していくという姿勢が重要だと考えています。
 物理学の世界では、まだ解明されていない謎がたくさんあります。ダークマターやダークエネルギーの正体、宇宙の始まり、重力と量子力学の統一など、次世代の研究者が取り組むべき課題は山積みです。皆さんの中から、これらの謎を解き明かす人が現れることを期待しています。

殷文(イン・ブン)准教授

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