浅草で3代、手拭が伝える江戸の粋
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ふじ屋の代表作の一つ『めで鯛』の手拭を広げる川上正洋氏
東京・浅草で3代にわたり手拭作りを続ける「染絵てぬぐい ふじ屋」。1946年の創業以来、日本の伝統文化と新たな感性を融合させ、時代に合わせた手拭の在り方を提案している。3代目として店主を務める川上正洋氏に、手拭の魅力と浅草に根付く粋の文化について伺った。
3代続く、浅草の手拭専門店
ふじ屋は1946年、川上氏の祖父である初代・川上桂司氏が、手拭文化に惹かれて浅草で創業。その後、父・川上千尋氏が家業を継ぎ、現在は川上氏が3代目として、父と共にデザインを描きながら店舗を経営している。
「生まれてからずっと浅草で育ちました。この店の2階で暮らしてきたので、魚屋や八百屋のように手拭屋が当たり前にある環境で、小学校の卒業文集には『手拭屋になりたい』と書いていました。祖父も父も『継いでほしい』というようなことは一度も言いませんでしたね」
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川上氏がふじ屋を継ぐ決意をしたのは、大学3年生の時だった。大学通学の傍らデザイン学校にも通っていた川上氏。祖父と父、川上氏の三人で手拭を展示する三人展の企画が立ち上がり、初めて手拭のデザインを描くことになった。しかし、開催を前に祖父・桂司氏が他界し、展示会は祖父不在で開かれることになった。
「三人展をきっかけに初めて自分で絵を描き、お客様の反応に触れて、この仕事を本気でやっていきたいと強く思いました」
川上氏がこのとき初めて描いたのは、雪だるまの絵柄だった。クリスマスを連想させる赤い背景に白い雪と雪だるまが映える、大胆なデザインである。
粋の文化を伝える伝統技法
ふじ屋の手拭は、注染(ちゅうせん)染めという伝統技法で、一枚一枚が職人の丁寧な手仕事で作られている。プリントとは違い、糸の芯まで染料を浸透させるので、裏表なく染め上がるところが特徴だ。
店頭には約120種類の手拭が並び、春夏は桜や草花など明るくて涼しげな絵柄、秋冬は紅葉や雪景色など、季節に合わせて入れ替えている。染める工程で使用する型紙として保管しているものも含めると、オリジナルの絵柄は数百種類以上になるそうだ。
定番の小紋や和柄、江戸の伝統的な絵柄の復刻、歌舞伎の作品を題材にした絵柄、スカイツリーといった現代的なモチーフなど、幅広いデザインが楽しめる。また、毎年恒例の干支(えと)の手拭や、「お誂え」と呼ばれるオリジナル手拭のオーダーメイドも創業以来ずっと続いている。

浅草寺と雷門の中間地点近くに位置するふじ屋

店内の壁には、専用額に飾られた手拭が並ぶ

大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』にも登場したことから人気が高いという『京傳てぬぐい』(中央)

獅子物の歌舞伎舞踊の代表的作品『鏡獅子』(中央)

取材中も多くの外国人観光客が店内に足を踏み入れ、鮮やかな手拭を眺めていた

山東京伝作『め鯨』には、鯨の目を横向きに飾ることで「目くじらを立ててはいけない」という意味が込められている

ふじ屋ののれんは、「い」を十個並べて「いと」、中心に「し」を通して「愛おしい」という意味を持たせた『いとし藤』
特に高い人気を誇るシリーズが、江戸時代の「てぬぐい合わせ」の復刻柄だ。てぬぐい合わせとは、1784年に山東京伝が開催したと言われる手拭の展覧会であり、著名な画人や役者たちに加え、芸妓や町民なども作品を並べたという。その図案を収めた図録が現在も残っており、それを基に初代・桂司氏が復刻させたのが始まりだ。
当時の絵柄からは、知性とユーモアを兼ね備えた江戸の粋な文化を垣間見ることができる。
「山東京伝が描いたとされる『道成寺格子』という鐘の絵柄があるのですが、当時はそれを桜の木に掛けて展示していたそうです。これは歌舞伎の『娘道成寺』という演目で、桜と鐘が登場する印象的なシーンを表現しているんですよ」
多くを説明せずにひとひねり加えた表現を粋として、江戸の人々は楽しんでいたのだろう。身分に関係なく多彩な芸術を楽しむてぬぐい合わせの文化は、多様性豊かな現代の東京へと受け継がれている。
日用品にもアートにも、自由に手拭を楽しむ
さまざまな使い方ができる手拭。ハンカチやタオルの代わりに拭いたり包んだりするほか、海外で展示販売をした際には、スカーフのように首に巻いて楽しむ外国人もいたそうだ。
「お客様には、まずはお気に入りを見つけていただくように伝えています。手拭は使い込むことで柔らかく、色も味わい深くなっていきます」
革製品やデニムを育てるように、お気に入りの手拭を長年使い込むことで、愛着のある自分だけの一枚になっていく。
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ふじ屋では、手拭をアートのように額に入れて飾ることも勧めている。
「江戸時代にも手拭を飾る文化がありましたが、大正や昭和になると、タオルのような実用的な使い方が主流になっていきました。私たちは手拭を飾るという文化を、再び広げていきたいと考えています」
先代の千尋氏は、手拭をもっと気軽に飾れるようにと、専用の額を考案した。手拭の吸水性と速乾性を生かし、水だけできれいに貼り付けられる仕組みで、貼り替えも簡単にできる。
お気に入りの一枚を、毎日持ち歩いて使ってもいいし、アートとして飾ってもいい。「自由な発想で、手拭を楽しんでほしい」と川上氏は話す。
新旧が織り成す人情の街、浅草
浅草で生まれ育った川上氏にとって、この街の一番の魅力は「人」だと語る。
幼い頃から顔馴染みの近隣のお店や地域の人々。その絆がさらに強くなったのは、コロナ禍の時だったという。
「浅草から人が消えて、鳩しか歩いていないような状況になって。店を閉めると言い出す人も少なくなかったんです。そこで、私たち若手がなんとかしなきゃと立ち上がりました」
同世代の仲間たちと共にコロナ対策や助成金の情報を調べ、高齢の経営者たちに伝えて回った。子どもの頃からいつもそばにあった地域とのつながりが、緊急時に若者たちが主体となり団結したことで、いっそう強固なものになった。
この経験をきっかけに、川上氏は浅草観光連盟にも参加するようになり、今まで以上に地域の一員として活動を広げることになったという。
国内外から多くの観光客が訪れる浅草。台東区の調査によると、令和6年度の台東区の観光客数は全体で4,100万人に上り、そのうち外国人観光客は640万人を占める。ふじ屋に訪れる客も、全体の約7割が外国人だという。
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「来たい人にはどんどん来てほしい。浅草は昔から新しいものを受け入れてきた街。変化を恐れず、どんな人も温かく迎え入れる懐の深さがあります」と川上氏は語る。
江戸時代から、文化と経済の最先端として発展してきた浅草。伝統を守りながら、変化を楽しんで受け入れる人々の心意気は、現代にも脈々と受け継がれ、東京という都市全体の活気と温かさにもつながっている。
伝統を守り、日本の手拭を後世に
2026年には、創業80年を迎えるふじ屋。「これからもこの場所で、良い意味でずっと変わらないふじ屋であり続けたい」と川上氏は話す。
時代の変化によって、従来の材料が手に入らなくなるなどして、一部の技術や工程が失われつつある場面もある。また、高齢化や人手不足による技術の継承も、今後の課題になるだろう。新しいことを始めるよりも、これまで続けてきたことを「変わらずに守る」方が、ずっと難しいのかもしれない。
「私たちが江戸の絵柄を今楽しんでいるように、これから後世に伝わるような柄を一枚でも多く描きたいですね」
若者や外国人など、手拭にあまり馴染みのない人たちが手に取りたくなるような柄や、日本の美しさが伝わるような絵柄をこれからも増やしていきたいと、川上氏は意欲を語った。また、将来迎える創業100年目に向けて、現代版てぬぐい合わせのような企画も考案中だという。
浅草という人情の街に根ざし、3代にわたって手拭文化を守り続けるふじ屋。川上氏が一枚一枚描く手拭は、江戸から続く粋の心を次世代へとつなげながら、東京という都市の懐の深さと多様な魅力を象徴している。
川上正洋
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1984年、東京都生まれ。1946年に創業した染絵てぬぐい ふじ屋の3代目。オリジナルの図案や伝統的な「てぬぐい合わせ」の復刻柄などを一点一点職人が手染めで仕上げ、古来より伝わる伝統文化をその時代に合わせて届けている。
染絵てぬぐい ふじ屋
https://tenugui-fujiya.jp/index.html
取材・文/加藤奈津子
写真/藤島亮
